BACK | Novel Top |

キライだもの-第1章-

――アイツなんかムカつくから虐めようぜ。
事の発端は、クラスの番長である大和に、大人しい祐喜が不快な思いを、祐喜が挨拶の無視をしたから。
大和は人にされたら嫌なことを平気で相手にするが、自分がされると機嫌が悪くなるという、必ずクラスに1人は居るような奴だった。大人しい祐喜は大和の挨拶を会釈で返したのだが、別のほうを向いていて声を待っていた大和は会釈されたのを知らず、無視したと勘違いしてしまった。皮肉にも、祐喜が会釈したという目撃者は居ない。大和は祐喜への復讐を開始した。
番長に逆らうと一緒に虐められるかもしれない、クラスメイト達は自分が虐められたくない為に祐喜への虐めに賛成した。



「あ、来た来た」


次の日の教室。祐喜はいつも登校する時間は20分前と登校時刻ギリギリだ。なのでいつも大体のクラスメイトは集まっている。
大和は祐喜が玄関に来たのを確認すると、早速行動を始めた。教室の扉に黒板を挟む、上靴に画鋲なんて在り来たりな事はしない。一番自分がやってスッキリする方法、力尽く。つまり、暴力だった。こういう輩は昔から決まって裏でコソコソとではなく、表で堂々と非道な行為を行うものだ。
大和の取り巻きである、達樹はそれを何度も目撃している為、新鮮味を感じずつまらなそうに窓の外を眺めていた。


「もうすぐで来ちゃうんですけどぉ」
「ヤバイ、ウケる」


クラスのギャル達は女の子とは思えない位の、プライドの無い下品な爆笑をする。それに釣られ、クラスの大半が楽しみ、待ちきれないと笑う。
その時だ。祐喜はいつもの猫背で俯きながら教室の扉を開ける。祐喜はトボトボと席に向かう。近くで輪を作って談笑していた女子グループは笑いを堪えながら道を塞ぐ。これはいつもの光景だ。同じ人類に代わりは無いのに、自分より何かが劣っているのを滑稽に思い、ばい菌扱いをしたりして優越感に浸ろうとする。弱肉強食の世界。劣った遺伝子を排除していくのは生物の本能だ。
大和は、祐喜の席の前で仁王立ちをして待っていた。


「おい。長嶋祐喜君」


祐喜は大和を見上げる。大和の背はクラスでも一番で、祐喜は猫背なうえに背が小さい。周りから見れば説教をしている体育会系の教師と、怒られてうなだれる生徒だ。クラスメイト達は好奇の目を祐喜に向ける。だが達樹はそれに興味がなく、ただ窓の外を眺めてホームルームを待っていた。
その時、達樹の傍で2人を見ていた女子の1人、由愛が耳打ちをした。


「ねえ。アイツどうなると思う」
「今迄と同じ、転校か退学だろう。あいつは一度虐めたら誰にも止められない。大和は野獣だ」


由愛はそれ以上は何も聞かず、2人へ視線を戻した。
大和が達樹と知り合ってから今まで虐めてきた人の人数は、祐喜で4人目。2人は転校、1人は退学している。堂々と虐めを行うが教師にはバレることは無い。それはクラスメイト達からの信頼が厚く、フォローを入れてくれるからだ。目撃者が居なければ虐めがあることは立証されない。被害者が虐めを受けましたと言えば教師はそれなりに動くが、決定的証拠が見つからないままでいつのまにか問題は自然消滅してしまう。被害者達は問題の解決の見込みが無いことを悟り、自分から消えていった。
大和の辞書に敵≠ニ負≠ニいう文字は無い。狙った獲物は必ず倒す。大和はクラス内のライオンだ。



「なんか言えよ」


いつもと違う空気を察知した祐喜は、恐怖に慄く。大和はまるで子猫のように震える祐喜を滑稽に思い、噴きだしてしまった。
祐喜は声が出ず、俯く。黙っている事に苛立った大和は、祐喜のネクタイを掴んで引っ張った。重心を失い、不意に前にぐらついた祐喜は、大和のバレーボールで鍛え上げた筋肉に顔を埋めるかのように倒れた。


「おいおい。ひ弱な奴」
「それ位にしてあげなよー。可哀想じゃーん」


とても可哀想だなんてまるで思っていないという様に、嘲笑しながら大和を宥めるのは、クラスの女番長の楓だ。思春期特有の行き過ぎた正義感は、知らずに人を不快にさせる効果もある。
祐喜は体勢を戻すと、再び俯いてしまった。
それと同時に鐘がなる。HRの始まりだ。先生が来たぞ! と扉側に居た男子生徒の声を聞き、銘銘と席へ戻っていく。
その中で祐喜は教室の外へ逃げるように去っていった。楓はお腹が痛いのかしら?と気にしているようだった。
達樹はそんな祐喜のこの先を考える。


――あいつ、この後どうすんだろ。標的になっちまった。


面白いことに、祐喜が教室を出た直後に入れ替わる形で担任の先生が入ってきた。先生は祐喜の事を気づかないまま、HRを始めた。
達樹は右斜め前の大和を見る。大和は機嫌が悪いままのようで、背もたれに体を預け、机の下で何やら携帯を操作していた。



「あいつ結局どうしたんだろ」


結局放課後になっても祐喜は帰ってこなかった。カバンも置き去りのまま、何処へ行ったのか。大和の取り巻き達が捜索しても見つけることはできなかった。だが、いつも黙々とノートをとるだけで決して手をあげることのない祐喜は、教師にとっては居ても居なくてもいい様な程度の存在であった。
長嶋の所為でいつもよりも調子が出ないと言う大和に、達樹その話題を思い切ってぶつけてみた。


「あぁ……。保健室じゃねぇの。あそこのババアすぐ怒鳴るから、あそこだけは見てないし」
「そうか……」


いつもの様な悪乗りもなく、ナンパしようぜ!なんて他愛の無い話もなく、達樹も気が気でない様だった。
ビルとビルの隙間から茜色の光を放つ太陽が、2人を照らす。眩しさで2人は目を細めた。


「眩しい……。そういえば太陽で思い出したけど、今日の科学のテストどうだったん、大和は」
「ん。あー、うん。ぼちぼち」


太陽を使って無理に会話を作ろうとしたが、大した弾むこともなく終わった。
再び暫く続いた沈黙。それを破ったのは大和だった。


「決めた」
「え?」


決めた。≠ヌういう意味か理解出来なかった。


「アイツ、素直に土下座してれば良かったのに。苛立ちが収まらねぇ。あの態度腹が立つんだよ!」


声を荒げる大和に驚いた様子の達樹。大和は歯軋りをする。
朝、祐喜のネクタイを掴んだのは、土下座をしろ。という意味だったらしい。結局一度も喋らないまま忽然と姿を消した祐喜に怒りが爆発しそうだった。自己中心的で傲慢な大和は最悪な性格を兼ね備えている。もうこうなった以上本気だと、達樹は確信した。


「本格的に虐めるのか?」
「ああ。俺、元からああいう根暗大嫌いだしな。ああいう奴なんてクラスに必要無いし」


じゃあな! そう言った大和は突然、帰路とは別方向の細道へ走り去っていった。その道の先にあるのは、近くにある会社が、かつて使用していたらしき、倉庫がある。その倉庫は、大和の一番信頼している、クラスの女番長である楓グループのアジトがある。


「長嶋君はもう終わりだな。こうなった以上」


達樹はそう呟くと、再び歩き出した。
ふと吹いた冷やか風は、これから夏本番というのに珍しい。達樹は何やら嫌な予感を察知した。


「楓。居るか」


陽が当たらずひんやりと冷たい細道の奥に、空き地がある。そのど真ん中に錆びた倉庫が佇んでいた。周りは雑草が青々と茂り、かつて使われていたらしき、木材が腐敗したまま無惨に放置されていた。
倉庫の前で大和は楓を呼ぶ。しばらくしてから、中から元気な声が聞こえた。
倉庫の扉が、ガタンと音を立てて開く。錆びた扉が、静寂下空き地の中心で様々な音を奏でた。


「いらっしゃい。どうかしたの」
「話がある」


制服を着たままの楓は明るく出迎えたものの、大和の素気無い態度に、とても大事な話なのだろうと悟った。
大和を中に招き入れる。倉庫の中は、木材と同じく、使われていないまま忘れ去られた段ボールが埃をかぶって奥に鎮座していた。天井から吊るされた裸電球はクモの巣がかかっていて光もほんの微かにしか光っていなかった。
革が破け、座り心地の悪そうなソファに2人は腰をかける。


「何。今日の事?」


楓は先程とは打って変わって冷淡な声で言った。大和は何も言わず頷いた。なるほどね、事を理解した楓は、胸ポケットから携帯を取り出した。


「長嶋君の事でしょ。どうしてもやるっていうなら協力するけど……」
「ああ。頼む」
「私の条件を飲んでくれるならね」


大和は楓を睨む。楓は怪しい笑みを浮かべながら携帯を操作していた。


「大田由梨。アイツも一緒に虐めてくれるなら」
「……大田?何故だ」


学年でもトップの成績を誇り、誰にでも平等に優しく接することから、男女共に人気がある大田由梨。だがそれは八方美人だ、と楓は由梨を嫌っていた。
大和の権力をもってすれば、幾ら人気のある由梨でも、簡単に地獄へ貶めることが出来る。楓はそれを狙っていたのだ。
大和は暫く考え込む。由梨に関しては、嫌な思いをしたことが無かったからだ。


「八方美人って所が気持ち悪いの、反吐が出るわ!」


楓もまた、大和と同じ自己中心的で傲慢、気に食わないが居れば即刻虐めの対象とし、居なくなるまで甚振り続ける悪魔だった。



楓は携帯の操作を続ける。どうやらメールをしているようだ。
暫くの沈黙が続き、大和はふと立ち上がった。屋根の隙間からみえる空は、大分陽が落ちて藍色に染まっていた。腕時計を見ると、裸電球の光に照らされて、6時23分だということが分かった。
その時、楓は携帯を勢いよく閉じて立ち上がり、大和の肩をたたく。


「友達に協力を仰いだ。もう駄目なんて言えないでしょ?」
「強制か。最近学校つまらなかったから、別にいいが」


大和は苦笑して、倉庫を出て行った。取り残された楓は1人、もう一度ソファに腰を落とした。背もたれに降りかかっていた埃が宙を舞う。裸電球が舞う埃を幻想的に見せた。



次の日、祐喜は欠席だった。もう怖気づいたか、と大和は苛立っている様子で、教室内の雰囲気は殺伐としていた。
達樹は他の取り巻き達と共に、教室の外で由梨が来るのを待ち伏せしていた。廊下の奥にある広場には、こちらも同じく殺伐とした雰囲気の楓グループが陣地を独占し、由梨が来たらどうするかを話し合っていた。
今までの思いを漸くぶつけられる、と楓はニヤニヤと笑っていた。


「来た」


大和のとりまきの1人、大政和也が由梨が生徒玄関に入ったのを目撃した。大和と楓の興奮は最高潮を迎えた。



由梨は上履きを履くと、生徒玄関から3年生の教室がある右廊下へと歩みを進める。3年は2つしか教室が無いため、1組を超えるとすぐに教室があり、その奥にトイレと広場、体育館へ続くという造りになっている。
大和と楓が由梨を虐めるという事が、取り巻き達を通して、既に1組にも伝わっていた。今迂闊に由梨に近づけば巻き添えを喰らうかもしれないという恐怖感から、誰も由梨には近づかず、重く暗い雰囲気になっていた。由梨もすぐに気づいたのか、近くに居た女子生徒に話しかけた。


「ねえねえ。一体どうしたの?」


女子生徒は驚いたあまり硬直してしまった。周りからの視線に圧倒された女子生徒は、その場から走り去っていった。
置いてきぼりにされた由梨は、嫌な予感を感じた。いつもとは違う周りの様子、視線。そしていつも生徒たちが談笑やふざけ合いで、常に賑やかだった廊下や、広場からは何も聞こえず、教室の扉から生徒たちがコッソリと、好奇の目で此方を見ているのが分かった。
その刹那、左廊下から女子数人の高笑い声がこだました。由梨は全身がヒヤリと冷たくなるのを感じた。
左廊下から現れたのは、楓とその取り巻き達だ。楓の勝利に満ち溢れたような視線が、由梨の心を貫いた。


「もう分かったでしょ。今自分が、どういう状況に立たされているのか」
「……今から虐められるのかな、私」


そうよ、と言わんばかりに楓はほくそ笑む。由梨はその笑みの意味を一瞬で理解したのか、驚きを隠せなかった。自分の心臓の拍動が高まっていくのを感じた。一瞬顔が引き攣りそうになるが、すぐにいつものにこやかな表情に戻る。弱い所を見せてちゃ駄目だよ、揚げ足を取られちゃうもの。と昔大和に虐められて転校した親友が言っていた言葉を思い出したからだ。今此処で驚いてしまえば、すぐ調子に乗るタイプの楓はきっと、私をもっと追い詰めてくるだろう。
だが、その笑顔は楓にとっては不愉快極まりないものだった。


「私、なんか悪い事したっけ? あったなら謝るよ。だから、そんな虐めなんて……」
「うるさい! あんたのその笑顔と、その性格がムカつくのよ! イイ子ぶってんじゃねえよ!」


そうよそうよ。と取り巻きたちは次々に由梨へ罵声を浴びせる。由梨は思わず困惑した。性格は素で、決してモテたいから、嫌われたくないからという思いでの偽りではないのだから。
取り巻き達は更に罵声を浴び続ける。が、由梨は引けを取らずに、表情を変えなかった。


「ぶってなんかないよ。元からこうだもの」
「嘘だ! 達樹でしょ? 私知ってるんだよ、達樹と近づきたいから誰にでも平等に接するって事。そしたら別に2人で喋ってても怪しまれないもんね」
「はっ? 飯田君は関係ない!」
「ほら、今一瞬顔色が変わった! サイテーじゃん」


取り巻きの1人、仲原空が、楓側を有利にするために一気に攻めていく。
由梨と達樹は幼馴染だ。だから他の男子生徒よりは仲が良いことは事実だったが、好きという感情は無かった。それに驚いてしまい、更に困惑する。
否定を続けるも、空は何度も嘘吐き!と罵る。周りの生徒の視線も、段々と冷たくなっていった。
由梨の心が折れそうになった、その瞬間にチャイムが鳴った。HRが始まった。生徒たちは銘銘に教室へ戻っていった。由梨も教室へ行こうとする。その横を楓はそそくさと通り過ぎ、空はワザと由梨の靴を踏み、楓の後を追った。由梨はその場で転倒する。周りの笑い声が、更に由梨の心を痛めつけていた。



「早く入れよー」


後ろから先生が教室に入るよう促す。職員室は2階の奥なので、今あった事は聞こえていない。
由梨も教室に入る。教室の空気は昨日の祐喜の時と同じ様な、殺伐とした雰囲気で、周りからの冷たい視線が刺さる。由梨は屈さずに自分の席に戻った。
HRが始まった。が、いつも聞く者は居ない。たいしたニュースが無い限り、近くのクラスメイトと談笑しながら聞き流す程度だ。先生自身も、最近は聞かれていないことを悟ったのか、適当になっている。
達樹は先生にバレないように携帯を操作していた。大和へ、何をすればいいのかをメールで問う。答えはすぐに返ってきた。


殆ど楓がする。俺は偶に協力する程度。詳しいことは楓に聞け


素っ気無い淡白な返答だった。ふと、一番廊下側奥に座っている楓を見やる。ニヤニヤと怪しい笑みを浮かべながら、由梨の後姿を凝視していた。もしかすると、どう痛めつけるかを考えているのかもしれない。


いつの間にかHRも終わり、教室内はいつも通り、常に騒がしい状態に戻った。由梨も、いつも通りの状況に安堵したのか、机の中に置いていた文庫本を取り出し読み始めた。
同じ頃、達樹は、取り巻きの和也と廊下に出ていた。


「大田が狙われるとはなぁ。結構可愛いのに」
「この面食い野郎。でもまあ確かに、狙われるとは思わなかった」


ぼーっと中庭を見ながら話していると、雨が降り始めた。結構な大雨で、風に乗って窓に打ち付けれる度に、パラパラと音がする。そういえば、今週末天気悪いんだよな、と話題も自然と別なものに切り替わっていた。


途切れ(`・ω・´)ゞ


何これ。由梨の顔色が青白くなる。本を開くと、そこには悪口や落書きで埋め尽くされ、文が黒く塗りつぶされた、読むことも出来ないような状態になっていた。
斜め後ろに見やる。楓は口に手を当てて、せせ笑う。ふとその時、お互いに目が合った。先ほどまでの由梨を嘲笑していた楓の顔色が、うって変わって由梨を睥睨し、顎を突き出した。その時、由梨の机を叩く音が聞こえた。振り返ると、由梨の机の前に、空が笑いながら立っていた。


「大田さん」
「どっ、どうしたの」
「此処じゃ話辛いから、女子トイレ行こっか」


空は強引に由梨の手を掴んで連れて行こうとする。由梨は唐突に手を掴まれたため、抵抗できず立ち上がろうとして、腰を机にぶつけてしまった。
後ろを向くと、楓は居なくなっていた。――来たか。由梨は覚悟を決め、空に着いて行く。



「来た来た」


トイレには既に楓と、もう1人のとりまきである藤島セイラが待っていた。空は由梨の引っ張っていた腕を離すと、由梨の頬を叩いた。トイレ内に乾いた音が響いた。
3人は一斉に高笑いする。由梨は驚きのあまり放心状態に陥っていた。


「セイラもやりなよ」


空はセイラを唆す。口で手を押さえながら上品に笑うセイラは、無遠慮に空が叩いて赤くなっていた右頬に同じく叩く。
由梨はその場に崩れてしまった。3人の高笑いはヒートアップする。
ねえ。楓は由梨の腕を引っ張ると、手を上げて叩くフリをした。その時由梨は、無意識に悲鳴を上げた。


「ちょっ……うるせえよ!」
「ウゼぇ」


慌てた3人は、由梨に暴言を吐いて、さっさと走り去っていた。
由梨は何が起きたかも分からないまま、気を失ってしまった。
先ほどまでとは一転し、静まり返ったトイレは、蛇口から滴る水の音だけがより静寂さを引き立たせていた。



気がつくと、由梨は保健室のベッドの上に居た。起き上がると同時に、保健室の先生が、しんぱいそうな表情で、ベッドから光を遮るカーテンを開けた。


「大丈夫? 大きな虫が出たんだってね。横山さんが言ってたわ」
「え……」


どうやら楓は先生に、由梨が叫んだ理由は虫が出たからだと言ったらしい。確かに、虫が苦手な女子が大きな虫を目撃して叫ぶというのは当たり前のことだ。
由梨は虫が出て叫んだということにした。虐められて叫んだなんて言ってでもしたら、後がより怖くなるし、自分が情けなく思えたからだ。


その後、由梨が保健室から出たのは既に放課後になっていた。静まり返った教室にカバンを取りに行くと、由梨の机だけ、椅子が上がったままだった。掃除終わりに、そのままにされたらしい。
机の中をまさぐると、鉛筆の削り粕が大量に入っていた。嫌な予感がして筆箱を覗くと、自分の鉛筆は1本も無くなっていた。


「……暇人」


小さな声で呟いた。教科書に付着した削り粕を落としてカバンに仕舞い、そそくさと教室を後にした。



一方その頃、達樹は大和ととりまきの和哉と3人でファーストフード店に来ていた。出来たばかりのポテトが芳ばしい香りを放つ。


「女子トイレのあの虫事件のことだが」


大和は2人を見つめながら言う。2人は黙って頷いた。
由梨が大きな虫に驚いて悲鳴を上げる。その目撃者は楓。3人はそれは嘘だという事を既に見抜いていたのだ。


「いくらなんでも初日からあれって酷すぎですよね。しかも、頬が赤くなってたのは、蚊が止まってたけど気づいてなかったからだ、と」
「大量発生にも程があるだろ」


確かに。2人はポテトをつまみながら話を進める。
保健室の先生は頬のことは聞かず、軽く手当てをしただけだった。先生も見抜いているのかもしれないが、それは誰にも分からない。もしバレていたとするならば、大和の今まで誰にもバレずに虐める連続記録が途絶えてしまう。それどころか、バレてしまうと祐喜との事もバレてしまい、停学どころでは済まされない。3人はそれについて危機を感じていた。


「派手にやるよなぁ、横山」
「いつもくっついてる仲原と藤島も中々の腹黒だからな」


その時、大和の携帯に着信音が鳴る。画面を見る大和の表情は険しく、2人は黙らざるを得なくなった。
数分して、携帯を閉じると大和は2人を見て静かに言った。


「楓は相当大田が嫌いらしい」
「どうしたんだ」


大和の発言に対する達樹の声のトーンは自然に低くなっていた。和哉は黙って大和の言葉を待つ。


「クラスメイトからの連絡。公園で3人が大田を虐めている所を目撃したらしい」
「横山達……学校で待ち伏せしてたのか……」


3人は一斉に立ち上がり、店を出た。夕陽がすっかり落ちた町は暗闇の中、家々の灯りと街灯が、3人の行く道を照らしていた。


1章 終わり。



BACK | Novel Top |